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『コラム』

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ラグスタ株式会社
2022/12/13

元オリックスバファローズ 園部聡さん【Cittaインタビュー】

甲子園4期連続出場をし、ドラフト4位でオリックスバファローズに入団し、打者としてご活躍された経歴を持つ、園部聡さんにインタビュー。

野球を始めたきっかけからプロ野球人生、現在PBS野球塾の指導者として野球塾の事や今後の展望をお伺いしました。

元オリックスバファローズ野手園部聡さんインタビュー

無我夢中でやり続けた学生時代、才能が開花

ーー友人の誘いがきっかけで野球を始められたとの事ですが、始めた当時の事をお聞かせください。

【園部聡さん(以下敬称略)】私は幼稚園からサッカーをやっていて、当時活躍していたJリーガーの中田英寿にすごく憧れていてJリーガーになりたい夢がありました。

中学校から野球を始めたんですが、中学のサッカー部が途中で廃部になってしまったこともあり、サッカーが続けられない状況になった時に、いろんな部活を体験しましたが、仲のいい友達が野球部にいたこともあって、それがきっかけで野球を始めました。

 

ーー初めて野球をやった時はどんな気持ちでしたか?

【園部】小学校の時から、ボールを遠く投げるとか、Tボールとか人より飛ぶな~とは思っていたんですが、実際にやってみると動くボールを打つとか、動いている人にボールを投げるとか、すごく難しかったですね。

 

ーーでは、そこから野球を続ける中で、プロ野球選手になりたいと思った時期とそのきっかけを教えてください。

【園部】高校に入学して、何も実感のないまま簡単に結果が出てしまって、試合にもたくさん出られるようになってはいましたが、先輩で高校からプロに行く前例がなかったので、バッターでプロに行けるのかとイメージが出来ず漠然としていました。

当時、毎月の雑誌に大谷翔平選手が特集をされていて、ここまでいかないとプロにはなれないのかと、どこか他人事のように思って過ごしていましたが、高校2年生の夏の甲子園でホームランを打って、そこから秋の大会で取材を受けたり、雑誌に載ることもあって、「もしかしたら、大谷翔平選手みたいになれるんじゃないか」と思って、その後も練習や大会にもスカウトの方が来てくださったりしていて、その辺りから「プロいけるかもしれない!」と思うようになりました。

 

ーーなるほど、その当時プロ野球選手に近づく為に努力した事はなんですか?

【園部】当時高校生で、プロにいく為に必要な事、練習とかも全く分からなかったので、もう、毎試合毎試合を就職活動だと思って取り組んでいました。(笑)

練習はそこまで厳しい学校ではなかったですが、選手間での言い合いが激しい部分もあり、メンタル的に辛かった思い出がありますね。

 

ーープロ野球選手になり、環境が変わった面で得られたことや体作りの面で一番大事にしていたことを教えてください。

【園部】僕は高校生から体が大きい方だったので、プロに入った時もそこまで体を強くしようとは思わなかったんですが、ライバルになる存在は外国人選手に変わり、大きな外人選手と闘う為にはパワーをつけてないと差を埋めることはできないと思い、当時のトレーナーがパワー球団と言われていた近鉄にいた方だったので、当時の外国人選手のトレーニングを聞いて取り入れたり、ウエイトトレーニングも重量を外国人選手のやっていた重量に近づけるように、ひたすらトレーニングに取り組みました。

その他こだわっていたのが、トレーニング後にバットを振る事です。理由はないですが、そこはこだわっていましたね。

トレーニングは特に下半身を中心に、その次に体幹、その次は手首、この3つは意識的に強化していました。高校生の時とは異なって、プロの世界は毎日試合、休みの日も移動があったりと、毎日同じパフォーマンスを維持する難しさを感じて、いかに身体の感覚のズレを日々無くしていくかという点でこの3点は徹底して強化していました。

僕は食事管理の目を付けられていたので、オフシーズンもしっかり自主トレをしながら野菜中心で食事を考えて、お腹がすいたらプロテインというサイクルで過ごしていましたね。

元オリックスバファローズ野手園部聡さんインタビュー
 

ーー そうなんですね!当時、一番記憶に残っているエピソードを教えてください。

【園部】プロのストレートのボールの速さに驚きました。

当時、ソフトバンクの新垣渚選手の投げるボールが速すぎて、自分の頭より上のボールを振ってしまったりしていて、”ボールを投げた瞬間にバットを振る”ぐらいの感覚でないとバットに当たらなくて当時は必死でした。

そこは、数多く打席に立つことで慣れる部分はありましたし、打席に多く立ってバット振っていくことがポイントとして向き合いました。

元オリックスバファローズ野手園部聡さんインタビュー
 

指導環境をもっとよくすることで野球界を盛り上げたい

 

ーー今は講師としてPBS野球塾に関わっていらっしゃいますが、PBS野球塾に参加された理由を教えてください。

【園部】僕は田舎育ちだったので、都会の環境に比べるとプロに直接教えてもらえる環境自体が少ない中で、地方の子どもたちにも第三のコーチのような立ち位置で、元プロ野球選手に見てもらえる環境があったら、野球界がもっと盛り上がるんじゃないかと思って、オンラインがベースになってどこでも各地で繋がることが出来て、地方の子どもたちにも僕のやってきたことで、役に立てる事ならやりたいという想いもあって参加させてもらいました。

野球界の課題でもある、地方の指導環境を整えていく為にもこのPBS野球塾を通して手助けを出来る存在になれればと思っています。

元オリックスバファローズ野手園部聡さんインタビュー
 

地方の指導環境をこのPBS野球塾を通して良くする手助けができる事。素晴らしい取り組みですね!

ーーでは、PBS野球塾さんの更なる可能性はどんなところにあるでしょうか。

【園部】僕はやはり、地方の学校はレベルがどうしても落ちてしまうという事があって、地方のレベルの底上げがPBS野球塾に入会いただくと出来ることだと強く思います。

個人の技術向上はもちろんですが、その技術をチームに還元してもらうことでチーム力を上げることにも繋がっていくので、地方の野球のレベルアップにも繋げられると思っています!

 

ーーそれでは、これから野球を始めたいと思っている少年・少女、プロ野球選手を夢見る子どもたちにメッセージをお願いします。

【園部】好きで始めた事でも、続けている中で辛い事、壁にぶつかることもあると思います。けど、いろんなことを試しながら、こうやったら面白くなるんじゃないかとか、楽しいんじゃないかという事を見つけていって欲しいと思います!

元オリックスバファローズ野手園部聡さんインタビュー
 

ーー最後に、今から運動・スポーツを始めようとする方へメッセージをお願いします!

【園部】運動・スポーツは体力面でなく人間的にも成長させてくれるものと確信しています。

まずは一歩を踏み出してみましょう!

 

野球に真摯に向き合って、地域の野球環境を良くしていきたいという園部さんお気持ちを強く感じました。 PBS野球塾での今後のご活躍が楽しみです!
  今後Cittaで、PBS野球塾で行われた体験会の様子もお届けします!お楽しみに。

PBSオーダーメイド型野球塾
園部聡

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元オリックスバファローズ 園部聡さん

園部聡

福島県いわき市出身。中学校から野球を始め、3年時にはいわき市の選抜選手にも選出。聖光学院高校に特待生として入学し、甲子園4期連続出場、U-18日本代表選手として銀メダルを獲得、高校通算59本塁打と活躍。
高校生からドラフト4位でオリックスバファローズに入団し、打者としてウエスタンリーグNPBアワードに選出されるなど活躍。プロ野球界から社会人野球強豪チームのJX-ENEOSでの活躍を経て引退。現在は、自身の会社も持ちながら、オーダーメイド型野球塾PBSの講師として、地方野球レベルの底上げを行う為に精力的に活動している。


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