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『コラム』

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ラグスタ株式会社
2021/10/08

立命館大学ボート部トレーナー 青木孝至さん【Cittaインタビュー】

スポーツには怪我が付き物のです。特にラグビーやサッカー、バスケットボールなどコンタクトスポーツでは日常茶飯事でしょう。接触スポーツでなくてもネット挟む競技や体操など高所からの転落などもあります。陸上にいる以上怪我を避けることはできません。

では、水上はどうでしょうか?水泳、サーフィン、ボートなどオリンピック種目にもなっていて、競技人口も多く当然怪我の発生頻度も多いはず。

今回は、元々レスリングの世界で選手、指導者、そしてトレーナーとして経験された一人のトレーナーさんが、トレーナーとして全く異質のボートの世界に飛び込み、トップ選手がトップを維持するために日々選手たちをサポートしている青木トレーナーにお話を聞いてみました。

立命館大学ボート部トレーナー 青木孝至

トレーナーを目指したきっかけ

ーートレーナーを目指したきっかけを教えてください。

【青木孝至さん(以下敬称略)】 高校・大学とレスリングをしていたのですが、当時ケガをすることが多く、そのたびに競技が思うようにできず悔しい思いをしていました。

当時はトレーナーという存在はいなくて、スポーツ医学などの情報も少なく、とにかくガムシャラに練習して追い込めば強くなれると信じていました。

ある日、トレーニングで膝を負傷し、約1ヶ月まともに歩けなくなりました。近所の鍼灸師さんが鍼治療で治してくださ り、その職業に興味を持つようになりました。

その時に日本ではまだあまり浸透していなかったトレーナーという存在を知りました。それを機に、自分のようにケガで十分に競技ができない人をサポートしたいと考えるようになりました。

ーー元々レスリングだったので、レスリングの指導者やトレーナーに興味はなかったのですか?

【青木】 実は、今から十数年前までは、大学レスリング部から依頼をいただき、総監督&トレーナーという形で関わらせていただいておりました。

総監督もトレーナーも目指す方向は一緒なのですが、業務としては相反する部分もあり、自分自身はあまり器用な方ではないので両方を兼務する難しさを感じていました。

間に入ってうまく立ち回ってくれるコーチにずいぶん助けられました。

その後、指導については優秀な後輩コーチたちにお願いし、医療資格を保有していましたのでトレーナーとして専念することにしました。その際、自分の関わってきた競技以外のものをイチから学び、サポートしたいと思いました。

競技が何であれ「頑張っている選手の応援をしたい」という思いが基軸にありますので、レスリングを離れることに少し寂しさはありましたが、関わったことのない新たな競技にチャレンジする方が、トレーナーという立場で集中できるのではないかと思いました。

立命館大学ボート部トレーナー 青木孝至

ーーそこでなぜボートのトレーナーになったのですか?

【青木】 ある大学ボート部のトレーナーさんが負傷した選手を連れて相談に来てくれました。

大学選手権(インカレ)の前で、その選手にとって最後の大事な大会だということで、何とかレースに出れるよう復帰させたいとのことでした。

治療を施し、リハビリメニューを指導してその選手は無事に出場することができました。

その後、そのトレーナーさんから他の選手もぜひ診てほしいと言われ合宿所を訪ねたのですが、負傷や不具合を訴える選手がたくさんいたので驚きました。

「なぜ、こんなに負傷者が多いのか」選手やコーチといろいろ相談しながら一緒に考え、その後、ケガをしない身体づくり を進めていきました。それがボート競技のトレーナーとしてのスタートになります。

翌年、そのチームの負傷者が激減しました。ケガをしなければ練習をどんどん積み重ねることができ競技力もついていきます。

当時の監督さんが大変喜んでくださり、自分自身もボート競技という未知のスポーツのサポートに対して、少し自信をつけるきっかけになりました。

選手たちにいろいろ尋ねたことが、選手とのコミュニケーションに

ーーボートの世界に入って戸惑いなどありましたか?

【青木】 めちゃくちゃありました(笑)

まず大変恥ずかしい話ですが、ボート競技で使用するボートのシート(椅子)が動くということすら知りませんでした。

公園のボートのように下半身は固定し上半身で漕ぐものだと思っていました。実際はシートがスライドするので、オールを水中に入れるときは膝が最大限に屈曲していて、そこから脚の力を使って漕ぎ出し、体幹→上肢→オールへと力をつなげていきます。

風や波の影響も受けやすいので、強靭な筋力と動きのコーディネーションや対応力がとても大事だと思いました。

最初はボート競技について全くわかっていなかったので、選手たちにいろいろ質問し細かく教えてもらいました。

選手たちはとても丁寧に説明してくれて、またわかりやすい動画や本なども持って来てくれました。一緒にボートを漕がせてくれたこともありました。

「知らない競技だからきっちり理解したい」...そういう思いで選手たちにいろいろ尋ねたことが、選手とのコミュニケーションが一段と深まり良かったと実感しています。

この時に学んだことが自分の原点になっているので、選手た ちには大変感謝しています。

ケガの治療やコンディショニングだけでなく、会話もとても大切な要素だと実感している

ーー強豪チームをケアーするプレッシャーはありますか?

【青木】 ご縁があって、全日本でも活躍している社会人チーム・大学チームのトレーナーとして契約させていただいています。

レースにおいてはいつもプレッシャーを感じています。ボート競技はたいがい8人乗りとか4人乗りとかクルーを組みますので、一人が負傷するとクルー自体に影響が出てきます。

例えば 1 人が負傷により棄権となるとクルー全員が出れなくなる恐れがあります。ケガ人が出た際、コーチから「何とかしてくれ」と連絡をいただくことがあります。

プレッシャーはかかりますが、それがトレーナーの業務ですので、必死になって対応します(笑)

強豪チームだけあって、とても熱心にコーチが指導されています。

コーチともしっかりコミュニケーションを取って考えや方向性を理解し、チームとして各選手のメンタルが良い方向に向いていくためには、ケガの治療やコンディショニングだけでなく、会話もとても大切な要素だと実感しています。

トレーナーはあくまで脇役であり、出しゃばらず、求められたことには出来る限りきちんと応えること。そのためにはしっかり傾聴することが大事だと思っています。

必要のない指導の押し売り・知識のひけらかしにならないよう心がけています。

立命館大学ボート部トレーナー 青木孝至

選手やコーチの喜びの笑顔がみれた時が一番の喜び

ーートレーナーとしての遣り甲斐について聞かせてください。

【青木】 以前、アジア大会の時に予選レースで腰を痛めて練習できなくなった選手がいました。8人乗りの選手だったので、4日後の決勝レースに向けて全員が水上で練習できなくなりました。

その選手に毎日ケアーを施して、どうにかボートが漕げるよう になり決勝レースに間に合いました。そして、決勝レースではメダルを見事獲ってくれました。

表彰式の後、その選手が真っ先に自分のところに来て首にメダルをかけてくれました。トレーナーとして、とても嬉しい瞬間でした。

ケガをした選手が早く復帰したり、選手がケガをしなくなったり、トレーナーとして嬉しいことはたくさんあります。一番うれしいのは、チームが一丸となってレースで結果を出し、選手やコーチの喜びの笑顔がみれた時です。

昨年の全日本選手権では関わっている2チームから合計5種目出場したのですが、すべての種目で金メダルを獲得してくれました。

嬉しくて胸が熱くなりました。とてもやりがいのある仕事だと思っています。

シンクロした漕ぎ手の動きと、水面上を滑るように力強く進んでいくボートのスピード感は素晴らしい

ーー青木さんから見たボートの魅力を教えてください。

【青木】 2000M という距離を、艇を漕いで競うというシンプルな競技ですが、個々の能力が高いだけではダメで、漕ぎ手が一糸乱れぬ動きで同じ力量を発揮し、艇のスピードを高めていくというチームワークを重視する競技です。

競技力向上のためには、もちろん選手個々の基礎的な体力を上げていく必要もあります。

漕ぐ動作の繰り返しで単調に見えますが、ほんの少し動作を変えただけでもスピードに影響が表れたり、ケガにつながることもあるので技術面もかなり大切です。

また、ボート自体にも動かして調整できる箇所があります。漕ぎ手それぞれ体形が違いますので、個々の漕ぎやすさやボート全体の推進力を考慮して調整することも大切です。

ほんの数ミリのずれでも大きく影響してきます。コーチは選手の声を聴きながら何度も何度も細かい調整をします。

このようにいろいろな要素を細かく調整し、勝利を目指して日々トレーニングを積み重ねていく。

そこから生み出されるシンクロした漕ぎ手の動きと、水面上を滑るように力強く進んでいくボートのスピード感は大変素晴らしく、何とも言えない美しさを感じます。

機会があればみなさんもぜひご覧になってください。

   
青木孝至

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立命館大学ボート部トレーナー 青木孝至さん

青木孝至

立命館大学ボート部トレーナー(JASPO-AT/鍼灸師/健康運動指導士ほか)
大学卒業後、セントラルスポーツ入社、チーフトレーナーとしてトレーニング指導に従事。阪神淡路大震災を機に退職し、トレーナー・治療家を目指し国家資格を取得。その後、整形外科リハビリ科・治療院などで経験を積んだ後独立。現在では、治療院を開設し治療業務を行いながら、トレーナー活動、医療スポーツ系専門学校講師、行政における健康寿命延伸政策などに関わっている。


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