『コラム』
- Citta
- 2022/08/07
バルセロナオリンピックフェンシング日本代表 髙栁裕子さん【Cittaインタビュー】
ヨーロッパ発祥のスポーツ 「フェンシング」。
元々は中世ヨーロッパの貴族の“観る・演じる”嗜みというところからスポーツに発展したという。
東京オリンピックで、男子エペ団体日本代表が金メダルを獲得した歴史的な快挙は、皆さんの記憶に新しい出来事であろう。
現在も日本選手は更なるレベルアップ遂げ、今後も大注目の競技である。
日本の競技レベルが上がっている訳は一体なんなのか?
フェンシング女子日本代表として1992年バルセロナオリンピックに出場され、6度の世界選手権出場、全日本選手権優勝など輝かしい成績を残された、髙栁裕子さんにフェンシングの魅力、今後の展望を伺った。
騎士道の魅力
ーー早速ですが、フェンシングとはどのような競技でしょうか。魅力も合わせて教えてください。
【髙栁裕子さん(以下敬称略)】根本は決闘から始まって、中世ヨーロッパの貴族の嗜みとして、観る・演じるものからスポーツに変わっていったものなんです。
フェンシングは3種目ありまして、「フルーレ」「エペ」「サーブル」と呼ばれて分けられています。
「フルーレ」とは、ご存知の方も多いかと思いますが、太田雄貴さんがやっていた種目です。
上半身で頭と腕を除いた部分を「突く」もので、細かいルールがあって複雑な部分はありますが、“剣のやり取りを楽しむ”種目ですね。
瞬間に決着がつく様なもので、剣さばきが華麗なんですよね。
フルーレの語源は、フランス語で「フラワー(お花)」という意味で例えられるほど、華麗な競技です。
「エペ」とは、去年の東京オリンピックで男子団体が金メダルを取って注目されましたが、全身どこでも早く突く種目です。
なので、見ている方も分かりやすいですし、見ていて一番面白いですね。
世界のフェンシング人口を見ると一番やっている方が多いので、“キングオブフェンシング”とも呼ばれています。
なので、エペの勝者が真のフェンシングチャンピオンだというほど、世界でも主流の種目です。
今回、日本がメダルを取った、勝ちあがった事は、本当に素晴らしい大偉業を成し遂げられたと思います。
「サーブル」とは、上半身・頭を有効面として、「切る」種目です。
一瞬の判断で、まさしく“スピードを楽しむ”ものですね。
フェンシングは決闘から始まっているスポーツという事もあって、やはり皆さん剣を持つとイキイキすると言いますか、血が騒ぐといった感じで、小さいお子さん、特に男の子は没頭してやっているなと感じますね。
ーー日本ではフルーレの種目をされる方が多いとの事でしたが、どのくらいの人口の方がフェンシングをなさっているのでしょうか。
【髙栁】昔は種目自体がフルーレのみだったんですよね。
そこからエペ、サーブルに分かれていった形です。
ですが今は、3種目から男女関係なく自分の好み、特性で種目を選ぶことができます。
エペ、サーブルと分かれた当初は、男性のみができた種目で、女性はフルーレのみでした。
私がオリンピックに出場した時も、女性はフルーレのみで、順にエペ、サーブルと選べるように変わっていきました。
今は「エペ」がやはり人気ですかね。
種目によって、剣も防具もそれぞれ違い、エペは剣が重いので、なかなか小さい頃からはやりにくい種目とは思います。
元々世界では「エペ」から始まり、そこからルールが決まって「フルーレ」「サーブル」と広がっていったんですよ。
ーーへぇ~!なるほど。 種目でそれぞれに魅力がありますね!
【髙栁】そうですね!奥深くてとっても魅力的です。
きっかけは全てが「ご縁」
ーー髙栁様がフェンシングに出会ったきっかけ、始めた理由はなんでしょうか。
【髙栁】フェンシングを始めたきっかけは母の影響です。
私の母が憧れていたスポーツだったんですが、母の住んでいた家のお隣に、慶応大学のフェンシング部で当時指導をしていた、佐野雅之氏(※1)が住んでいらっしゃって、実は佐野雅之氏はオリンピアンで、のちに日本フェンシング協会名誉副会長になられる方だったんですが、毎晩家に学生が来てフェンシングの練習をしていたそうです。
母はそれを幼いながらに毎晩見ていて、“凄く素敵なスポーツだから機会があれば是非やりなさい”と私も幼い頃から言われて育っていました。
なかなかフェンシングに出会う機会が中学生まではなかったのですが、たまたま入学した高校にフェンシング部があったんです。
そこからが私のフェンシング人生の始まりでした。
その後私がナショナルチームで活動をさせていただいた頃に、フェンシングを引き合わせてくださった佐野雅之氏が、日本フェンシング協会名誉副会長になられ、本当に運命を感じましたね。
(※1)佐野雅之氏は1994年に広島アジア大会の村長も務められ、フェンシングに留まらず、日本スポーツ界にご尽力されました。
ーーとっても素敵です!どこかでずっと繋がっていたんですね。
【髙栁】そうですね。母に感謝ですね。
ーー高校ではやっとフェンシングができるぞ!というお気持ちでしたか?
【髙栁】実は・・・最初はバレー部に入ろうと思っていたんです。(笑)
ですが、フェンシング部を覗いていたら、1つ上の先輩に声をかけていただき、入部を決めることができました。
もしあの時声をかけていただいてなかったら・・・
もしかしたらフェンシングはやっていなかったのかもしれませんね。(笑)
ーー先輩の鶴の一声ですね!
【髙栁】そうですね!恩人です。
ーー髙栁様は、現在は指導者として競技普及に尽力をされていますが、主にどのような形で日頃は活動をされているのでしょうか。
【髙栁】はい。フェンシングクラブを運営しておりまして、週3回スタジオで、小学2年生から上は高校生まで約2時間、基本から実践練習まで指導を行っています。
その他はプライベートレッスンとして、スタジオでボディエクササイズを行っています。
マンツーマンで、その日の生徒さんの体調に合わせた改善の為の指導をしています。
あと月に1度、母校で同窓生のカルチャー教室があり、そこで大先輩方に向けてボディエクササイズをさせていただいています。
大先輩に囲まれて人生経験もお話しいただきながら、楽しく私も学ばせていただいていますし、とってもパワーをもらえる時間ですね。
やはりからだを動かすと会話が弾むんですよね!
12名ほどの生徒の皆さんですが、集まって会話をする事で、ストレス発散になりますよね!気持ちも身体も軽くなって、素晴らしい時間だなと毎回感じています。
道を自ら開き乗り越えた時代
ーー現役でご活躍の頃は、現在よりスポーツを行う環境も整ってはいない時代だったと思います。
女性アスリートとして苦労をされた事も多かったのでは?
【髙栁】はい、やはりスタッフに女性がいなかったので、男性社会という感じの部分がありました。
女性のデリケートな問題には一切触れられない環境もあり、トレーニング内容も男女全く一緒の環境でしたね。
フェンシングの本場はヨーロッパで、大会もヨーロッパに行かないとなかった時代でした。
私たちは、年1回の世界選手権に出るという事だけを見据えてやっていましたが、やはり大会に出ないと世界の選手にとても追いつけないと感じていました。
調べると、ヨーロッパでは月に2.3回の頻度で大会が頻繁に行われていることを知りました。
また、そういった大会に出てポイントを重ねないと、世界大会では勝ち上がれないという仕組みも後々知り、何とかして出たいという事で、協会に相談し、団結力のある女子グループみんなで、FAXで出場願いを大会宛に出したり、ホテルの予約も自分たちでやり切りました。
苦労しながらでしたが、仲間がいたから、そういった状況にも折れずに乗り越えられたなと思いますね。
ーーご自身の身体と向き合う為に、重要と考えて取り組まれていた事、今でも大事にされている事はなんでしょうか。
【髙栁】私は背が低くて、筋力も少なく小さいんですよね。
なので、ウエイトトレーニングと筋力をつける為の食事をとにかく強化してやっていました。
当時、食事の情報も全くない中でしたので、コーチが一生懸命に調べてくださって、からだ作りの為の食事のアドバイスをしてくださいました。
あとは休養ですね。
体のメンテナンスを行う事も大事にして、様々な事を試してきました。
針、マッサージ、カイロプラクティックなどなど、、、出来ることはほとんどやってきましたね。(笑)
今はとにかく良く寝ることですね!7.8時間を目標にしています。
あとはやはり食事ですね。
バランスよく、まんべんなく食べることを心がけています。
フェンシングの指導の特徴でもありますが、実際に生徒に対峙しながら指導をしないといけないので、指導中(約2時間)ずっと動き続けていますね。
年々体力も下降気味になってくるので、体力維持の面は注意しています。
ーー素晴しいです!お子さんの指導だとより大変ですね。
【髙栁】そうですね。日々の指導中がトレーニングだと思って体力維持をしています。
ーーフェンシングを始めてから、どのタイミングでオリンピックを意識されていましたか?
【髙栁】はい、高校からフェンシングを始めていましたが、学校には常にいるコーチがいなかったので、学校外のフェンシング教室に通っていました。
その教室も、住んでいた家の近くにたまたま運よくあって、通い始めました。
あとで分かる事ですが、その教室の先生は、多くの全日本チャンピオンとオリンピック選手を育てている方で、強い選手が多く練習に来ていたんです。
当時、強い先輩方を見ていて先生からは、“いまにあなたも先輩達のようにオリンピックに出られるからね”と何度も言い続けてくださっていて、私も“出られるんだ!”とそう思っていました。
なので、常にオリンピックというものは近くで感じている環境でしたので、高校2年生くらいには、オリンピックを現実的に意識していました。
カルチャースクールだったので、学生から社会人の方まで幅広い方が集っていて、本当に楽しかったですね。
ーーオリンピックの舞台は髙栁様にとってどのような場所でしたか?
【髙栁】やっぱりスペシャルでした。
(バルセロナオリンピック時のお写真 左隣りが佐野雅之氏)
私はすぐにオリンピックの舞台に立てたわけではなく、出られると思っていながらもなかなか出場を叶えるまでに時間がかかりました。
なのでなおさら“夢の舞台”でしたね。
(バルセロナオリンピック時のお写真)
実際に出場してみて、本当に特別で、スペシャルな場所でした。
そして、改めてフェンシングの素晴らしさ、素敵さを感じましたね。
ヨーロッパのスポーツなので、“魅せる競技”でもありショー的な要素もあって、決勝戦は劇場の舞台で行われたり、ライトアップされたりと演出が素晴らしいと感じました。
ヨーロッパではお城や宮殿の中で行われることもあって、本当に素敵だなと感じますし、是非そういった場所でフェンシングが行われていることを、多くの日本の方にも見ていただきたいですね。
日本も、少しずつそういった魅せる事にも力を入れて取り組まれているので、全日本の決勝もショー的な要素が含まれてきてより素敵になっていますね。
先日の全日本選手権の決勝は、六本木ヒルズの屋外で行われていましたが、たまたま一瞬通りかかってみたという子が、あまりにも素敵でかっこよかったからと私の教室に入会された子もいました!
日本フェンシング界の今
ーーフェンシング日本代表選手団は近年、オリンピックで輝かしい成績を残されていますよね。
2008年の北京五輪で太田選手が初めてメダリストになってから、フェンシング界や世の中のフェンシングの認知や、人気には変化があったのでしょうか。
【髙栁】そうですね。子どもたちでフェンシングをする人口が増えました。
ですが、わぁ~っとはなかなか増えない現実もあります。
それは、道具の費用が高価である事が影響していて、手軽にできる競技ではないという点があります。
防具一つ一つが高価であるので、なかなか始めるハードルが高いと感じられてしまいますね。
現在では、始める導入として、防具もあまり付けず、剣もプラスチック製のもので少し異なるフェンシングの形も出始めましたので、それもきっかけに、始める方が増えることを期待したいですね。
ーー現在の競技レベルの向上の要因は何だと思われますか?
【髙栁】まずはナショナルトレーニングセンターができたことですね。
常にトップのコーチの指導を受けることができ、合宿や食事の管理もしてもらえる、素晴しい環境ができたという事はとても大きな影響と言えます。
あとは、分析スタッフが付いた事です。
特にエペには専属の分析スタッフが付いたことで、一気に競技力がグッと上がりました。
対人スポーツなので、相手の強み弱みを知っていることで戦略も立てやすくなります。
フェンシングはスピードや反射神経、パワーという要素だけではなく、頭もすごく使う競技でもあり、“スポーツのチェス”と言われるくらい6手先くらいを読んで駆け引きをする奥深い競技なので、分析をする事はとても重要な要素ですね。
意外と運動神経だけではない競技でもあるかなと思いますし、自分で考えて準備をして臨むことがフェンシングは必要ですね!
今の子どもたちに伝えていきたい想い
ーー髙栁様ご自身でも、トゥッティフェンシングクラブを設立され、日々育成にも尽力されています。
トゥッティフェンシングクラブはどんなフェンシングクラブでしょうか?
【髙栁】そうですね。大会で勝ちたい選手もいれば、とにかくフェンシングを楽しみたいという選手も様々在籍していますが、基本はフェンシングをとにかく楽しもう!という想いで運営しているクラブです。
⇒トゥッティフェンシングクラブHP
ーートゥッティという名前の由来はなんですか?
【髙栁】これはイタリア語で、「みんな」という意味です。
みんなで仲良く楽しくフェンシングしよう!という想いを伝えて指導しています。
個人スポーツなんですが、相手がいないとできないスポーツでもありますので、相手を敬う事が根本にある“騎士道「ナイト」”の考え方で仲間がいるからできる事であるというのを大切にしています。
私自身、イタリアのフェンシングが好きで、フェンシング留学にも行ったことがある土地でもあり、ゆかりのあるイタリア語にしました。
ーーなるほど。素敵ですね。指導者として伝える上で大事にされている事、こだわりはなんでしょうか。
【髙栁】まずは基本のことでもありますが、挨拶や仲間を大切にすること、モノを大切にする事はしっかり伝えて指導しています。
フェンシングは厳しい状況で戦うもので、試合もコーチは観客席にいるので闘う時は一人きりなんですよね。
試合を行う場所の事を「ピスト」と言いますが、ピストに上がったら自分で全てやる必要があります。
自分の身の回りのことは自分でできる事、自分で思っている事をはっきり言葉で意思を伝えられる選手になるように、意識して指導しています。
なので、生徒の皆さんには質問を投げかける時は、必ず答えを出してもらっています。
自分の意思を言葉にする時間をしっかり取っていますね。
ーーなかなか意思を恥ずかしくて伝えられない子も多いのではないですか?
【髙栁】そうですね。ほとんど最初のうちは皆さんそうですね。
その時はとにかく答えが出るまで時間をかけるようにしています。
どうしても答えが出なさそうなときは、選択肢を与えて選ぶことで意思表示を促しています。
そうしていくと徐々に、自分の思っていることを言葉にして言えるようになっていきますね。
それが大人になってもすごく活きることだと思っています。
今はなかなかコミュニケーションが取れない子が多いと感じるので、フェンシングを通してその点も養っていってもらいたいなという想いです。
フェンシングはヨーロッパのスポーツなので、審判にも選手が猛アピールをするんですよね。
日本のスポーツではなかなかない、自己主張が大事なスポーツでもあります。
特にアジア人はそういった事が苦手で黙っちゃうところが世界との差を感じますが、世界と戦う上では、技術だけではない面も鍛える必要がありますね。
ーーフェンシングを通して子どもたちに何を伝えていきたいですか?
【髙栁】フェンシングだけに限らず、“体を動かす事、スポーツってこんなに楽しいものなんだよ”という事をフェンシングを通して感じてもらえたら嬉しいですね。
今のお子さんはすごく日々がハードで、教室に来たときはとても疲れた顔をしているんですよね。
でも、教室で汗を流して終わるころにはとっても元気に、顔もスッキリしているので、運動することでスカッと体を元気に、体が元気になれば頭も元気になって、いい思考も生まれると思うので、そういった体験をフェンシングを通して感じてもらえたら嬉しいです。
フェンシングに限っては、「騎士道」であるので、マナーや自己主張を大事にする事ですね。
“挨拶に始まって挨拶に終わること”。負けて悔しくても、最後はしっかり相手に敬意を表して挨拶をするという事を大事にして欲しいですね。
女性オリンピアンだからできる事を伝えたい
ーー女性オリンピアンが集うTOL(トータルオリンピックレディース会)のメンバーとしても、スポーツ文化の向上、競技の普及振興のご活動もなさっているとの事ですが、今までどのような活動をされたのでしょうか。
【髙栁】活動内容としては、1年1度オリンピアン・パラリンピアン、一般の方々をお招きしてトークショーを開催しているのと、年に1度会報誌を作成しています。
会報誌は、オリンピアンに寄稿してもらったり、実際に私たちが様々なスポーツにチャレンジした事を記事に起こしたりして作成をしています。
その他は、オリンピアンが教えるフェンシング教室や走り方教室、体操教室なども開催しています。
女性だけの集まりなので、女性らしさを出せるように、そういった観点で活動をしています。
現在は、改めて様々な状況を踏まえ、何が自分たちにできるのかをメンバーで話し合いを行っている所です。
幅広い年齢で競技も違う方々と交流ができる場なので、とても面白いですし、競技性を感じますね。
皆さま共通して心身ともに強いと感じますね。TOLはエネルギーに溢れています!
ーー三鷹市スポーツ推進委員としても、三鷹市のスポーツ普及、競技振興に従事されていらっしゃいます。
髙栁様の三鷹市に対する想いをお聞かせください。
【髙栁】はい。私を育ててくれた街で、愛着があって大好きな場所です。
緑が多くて、交通の便も良くて、ジブリ美術館もあったりしてとっても住みやすく素敵な街です。
運動する場所としても適していて、今よりも更に住民のみなさんが明るく、手軽にスポーツを楽しめるような、健康的な市であって欲しいなと思っています。
何度かフェンシングのデモンストレーションをやらせていただき、何年か前には、北京五輪の金メダリストをお呼びして一緒にデモンストレーションをさせていただきました。
ーー素晴らしいですね!なかなか金メダリストのプレーを見ることって出来ない事ですよね。
【髙栁】そうですよね。
参加された方の中で、一生に一度金メダリストに会えるか、会えないかの滅多にない機会なので参加されたと仰っていた方もいて、そういったお声が聞けたことは、とっても貴重な機会になりましたし、開催してよかったなと実感しましたね。
ーー今後、フェンシングがどのように広がっていく事を望みますか?また、どのように広げていきたいとお考えですか?
【髙栁】やはり、手軽なスポーツとして広がっていく事を望んでいます。
現状道具を揃える事に高いハードルがありますが、実践しやすい環境づくりに取り組んでいきたいと思っていますし、みんなが楽しめる手軽なスポーツになっていく事を実現させていきたいですね。
その為には、体験していただいて、フェンシングというスポーツの楽しさを体感いただく事が大切なので、デモンストレーションの場にも積極的に参加して、普及をしていきたいと思っています。
ーー先日、私も髙栁さんのフェンシングクラブにお邪魔をして、フェンシングを体験させていただきましたが、見た目では分からない発見がたくさんありました。
【髙栁】そうですよね!実際やってみてどうでした?
ーーまず、フェンシングをする為の準備に驚きました!フェンシングの服装はあんなに身につけるものがたくさんあるとは思いませんでした。
【髙栁】そうなんですよ。皆さん驚かれています。
ーー見ているだけでは気づけませんでした。そして、グローブやマスクの防具も重さもある程度あり、それを身につけて華麗にプレーを見せる選手の皆さんの凄さを実感しました。
そして何より暑かったです・・・。(笑)
【髙栁】ですよね。私も毎回汗だくで指導していますから。ユニフォームを身につけているだけでも暑いですし、その状態で動いていますからね。いい汗かけます。
ーーはい。とてもいい汗かけました!
そして、剣の使い方、動かし方にも様々なテクニックがあり、脳にもたくさん汗をかくほど、頭を使って考える競技なんだと体感できました。
相手との駆け引きを楽しめる競技とも仰っていただきましたが、生徒の皆さんと対峙をさせていただいて、全くと言っていいほど相手にはなりませんでしたが・・・、剣を持って相手と向かうあの“ワクワク感”は、やってみないと実感できない事でした!どんどんのめり込んでしまって、とっても楽しかったです!
【髙栁】そうなんですよ!本当に始めるとどんどん夢中になる魅力がフェンシングにはありますよね。
ーーはい!そして同時に一定の姿勢を保って攻防を続ける体力、常に集中し続けるメンタルもとっても重要な要素であると感じました。
“攻める気持ち”“冷静に判断する力”自分を体はもちろんですが、気持ちのコントロールが大事なスポーツですね。
【髙栁】そうなんです。フェンシングの面白さ気付いていただけました?
はい、やってみないと分からない魅力、面白さを体感させていただきました!ありがとうございます!
【髙栁】良かったです!そうやって、実践できる環境を提供できるように、私もまだまだ頑張りますね!
ーー素晴らしいです!
最後に、これから運動やスポーツを始めたいけどなかなか1歩が踏み出せない方へメッセージをお願いします!
【髙栁】例えば、ファンションからでもいいと思うんですよね。
ウォーキングするにも、身なりを好きなもので揃えるといった事からでも全然いいと思います。
あとは、スポーツとしてこだわらず、“ながら”でできる事を意識してみるとやりやすいと思います。
通勤の1駅前で降りて歩いてみる事も、立派なウォーキングですし、歯磨きをしながら、かかとを上げ下げしてみる事といった、些細な事から始めてみるのもやりやすい方法かなと思います。
よし!と構えず、是非手ごろなところから軽い気持ちで始めてみましょう!
ーー髙栁さん、ありがとうございました!
とってもパワフルでエネルギーに満ち溢れている髙栁さん。
素敵な笑顔と強い眼差しでこれからのフェンシング界の未来が更に楽しみになるお話をしていただきました。
皆さんもこの機会にフェンシング是非観戦してみましょう!
髙栁さんのこれからのご活躍、Cittaも応援し、注目し続けます!
PROFILE
バルセロナオリンピックフェンシング日本代表 髙栁裕子さん
1992年バルセロナオリンピックフェンシング女子日本代表
6度の世界選手権出場、全日本選手権優勝の経験も持つ。
現在は、地元の三鷹市で自身のフェンシングクラブを運営し、フェンシング競技者の育成に励む。
TOL(トータルオリンピックレディース会)のメンバーとしても、女性オリンピアンとして、スポーツ普及活動に尽力している。