『コラム』
- ラグスタ株式会社
- 2021/02/25
金メダリスト 阿部 雅司さん【Cittaインタビュー】
ノルディック複合でリレハンメルオリンピック金メダル、ノルディックスキー世界選手権団体優勝3回の阿部雅司さんにインタビュー。まずは、スキーを始めたきっかけや学生時代どのような選手だったのかを伺いました。
2021年4月1日 阿部雅司さんの対談がCittaTVにて公開決定!
お相手は北海道の夕方の顔、MCのヒロ福地さんです!
「北海道から世界へ」飛び立ったリレハンメルオリンピック金メダルの阿部雅司さんが新しい運動のカタチとして「これから運動をする人」「スポーツに挑戦しようとしている人」へ熱いメッセージをいただいています。乞うご期待!
初めから上手ではなかった。少しずつの積み重ねで勝ち取ったオリンピック金メダル
ーーまず、阿部さんが最初にスキーを始めたきっかけを教えてください。また、始めた当初どのように感じていましたか?
【阿部 雅司さん(以下敬称略)】小学1年生の時にゲレンデでアルペンスキーを始めました。家の裏にスキー場がオープンしたので 毎日のようにスキーをしに行っていました。なので、始めたというよりはそういった環境があっ たのでやっていたという感じですね。
ーースキージャンプを始めたきっかけは何かありましたか?
【阿部】ジャンプと野球に力を入れて指導をしていた先生から勧められました。その先生のポリシー(考え)が『スキージャンプもクロスカントリーも、ゲレンデスキーが上手になれないと上手く滑れない』『斜面に対してきちんと滑れる選手じゃないとダメ』という考えの方で、当時アルペンスキーを一生懸命行っていた自分に声をかけてくれたことがきっかけですね。
1回目のジャンプは本当に怖かった
ーー先生からの誘いがなかったら初めていなかったということなんですね。初めてスキージャンプをした時に恐怖心はありませんでしたか?
【阿部】ジャンプも初めは父親に小さなジャンプ台を作ったところから始めて、少し恐怖心もありましたが少しずつ高くしていったという感じす。
中学生の時に初めて宮の森のジャンプ台で飛んだときはとても怖かった記憶があります。高校では、通常1年生の時に大倉山でのジャンプに挑戦するところ、当時はジャンプが下手(先生に下手だからダメだと言われていたほど)だったので3年生で初めて飛ばせてもらえるようになりました。
その時は、合宿所の荷物を全てまとめてそこに保険証も添えて(病院に直行できるように)それくらい恐怖心がありました。
いざ、自分の順番が回ってきたときも、スタート地点にいくと怖くてスキー板を履くことが出来ないくらいでした。怖くて飛ぶことも迷っていたら後ろで待機している先輩に『早くいけ!!』と言われ、先輩の方が怖くて飛んだ感じ。
1回目のジャンプは本当に怖かったですが、次に飛ぶときには『思い切って立ってみようかな?』と考え始めていたので、少しずつ出来るようになっていったという感じです。
ーー阿部さんからジャンプが苦手というお話しを聞くまで全くそのようなイメージがなかったので驚きです。
【阿部】高校まではジャンプで優勝したりとか表彰台に乗ったりとかほとんどなかったですね。留萌管内の1人や2人しか出ていない大会の優勝はありますけど。札幌の大会なんかも6位以内に入ったことは1度もないです。
そこからオリンピックで金メダルを取るまでになった経緯などとても興味深いですね。次回はオリンピックまでのみちのりなどについても詳しく伺っていきます。