『コラム』
- サン・クロレラ
- 2023/11/23
終わりなき祝祭。滋賀レイクス川真田紘也選手インタビュー
ワールドカップの熱狂も覚めやらぬうちに開幕する新シーズンに向けて、1年でのB1再昇格をめざすレイクスの挑戦。
日本での開催となったFIBAバスケットボールワールドカップ2023で日本代表が躍動。
48年ぶりにパリ大会2024への出場権を自力で獲得したこともあり、空前のバスケット人気が起こり、日本中がお祭りムードに包まれた。
そんなバスケットボール日本代表「アカツキ・ジャパン」のメンバーのなかで、赤い髪をなびかせ「リアル桜木花道」と呼ばれるなど一躍人気者となった選手がいた。
身長204センチのビッグマン、川真田紘也選手だ。
彼が所属する滋賀レイクスもまたサン・クロレラがパートナーとして長年サポートしてきたチームで、2023年春からは株式会社サン・クロレラ代表の中山太がオーナーを務めるなど関係を深めてきた。
ワールドカップという祝祭が熱狂のうちに終幕を迎えたのも束の間、Bリーグは新シーズンがスタート。
それと同時に来年のパリ大会2024メンバー選出に向けたサバイバルも始まっている。
そこで今回は、バスケットボール日本代表メンバーである川真田紘也選手に、ワールドカップでの熱狂とその影で体感した世界との差、そしてB2として迎える新シーズンに向けての決意などについて話を伺った。
世界の風景を一変させた、ワールドカップという熱狂空間。
バスケットボールワールドカップの話題が連日マスコミで取り上げられるなか、「リアル桜木花道」というフレーズとともに川真田紘也選手の赤い髪は、アカツキ・ジャパンブームを象徴するアイコンとして、、お茶の間の人気を博していた。
そんな熱狂の渦中にあって、当事者である川真田選手自身は意外と冷静にその状況を観察していた。
素直にうれしいという気持ちと同時に、バスケットにくわしくない人でも知っている超有名キャラクターになぞらえられることにプレッシャーも感じていたという、「でもいずれは“赤い髪の人”とか“桜木花道”ではなく、川真田紘也という名前を覚えてもらえるだけの選手になれるよう、もっともっとがんばらないといけないとも感じました」と話す。
じつはトレードマークともなっていた赤い髪は、桜木花道を意識して赤く染めたのではなく、もともとカラフルな髪色に染めていた川真田選手が、正式に日本代表に選ばれたら赤く染めようと、比江島慎選手や富樫勇樹選手らと事前に話したうえで決めていたもの。
つまり「日の丸の赤」だったのだ。
しかし「それはそれで話題になって注目されたことで、それをきっかけに試合を見てくれた人もいたと思うので結果オーライです(笑)」と、あくまでポジティブだった。
【川真田紘也選手(以下敬称略)】実際にワールドカップの前と後ではファンの数も増えましたし、SNSアカウントのフォロワーも急激に増加してビックリしました。
また、レイクスの本拠地がある滋賀県内だけではなく、京都駅のような場所でも声をかけられることが多くなりました。
バスケットボールファンだけではなく、テレビを見て新しくファンになった人が予想以上に多くいるんだなあということを実感しますし、ゲームにはあまり出場できませんでしたけど、日本中にバスケ熱を伝えるという意味ではすこしは貢献できたのかなと思っています。
そして迎えた運命のワールドカップ最終戦。ランキング的には格下ではあるものの難敵であるカーボベルデとの試合は、最終ピリオドで点差を詰められたものの見事に80-71で勝利し、パリ大会出場を決めた。
自力での出場権獲得は1976のモントリオール大会以来、じつに48年ぶりの快挙だった。
ワールドカップでのプレータイムはそれほど多かったわけではない川真田選手は、カーボベルデ戦の最後の瞬間もベンチでチームメートの頑張りを見つめるしかなかった。
それでも歴史的瞬間であると同時に、彼自身初めてのワールドカップの舞台での挑戦でもあり、初の代表選出だったこともあって、昂るものがあった。
【川真田】ワールドカップの3ヶ月間というのは、ぼく自身初めて世界を相手に戦った大会で、本戦だけではなく練習試合も含めると、かなりの数の国際試合を経験することができました。
そのなかで、世界レベルで勝つためには技術面でもフィジカル面でも、まだまだ足りないと部分がたくさんありました。
そのいっぽうまったく手も足も出ないわけではなく通用する部分もあるなということもわかりました。
今後、自分がどこを伸ばし、そのためになにをすべきか、次のパリ大会に向けて、自分がこの日本代表チームでどういうプレーを求められるのかが明確になった3ヶ月間だったと思います。
川真田選手はそう話し、日本の貴重なビッグマンとしてディフェンス、リバウンドを中心としたセンターらしい動きに磨きをかけると同時に、ヘッドコーチであるトム・ホーバス氏の3ポイントを主体とするプレイスタイルのチームで活躍するため、3ポイントシュートの練習にも積極的に取り組んでいきたいと、意気込みを語ってくれた。
手応えをつかんだひとつのプレーが、大きな飛躍へと導いてくれた。
3か月間に及んだワールドカップでの活躍と、パリ大会2024への出場権獲得という快挙が川真田選手に何をもたらしたのか。
それは、より高いレベルのチームの一員として世界の競合チームやスター選手を相手にする場合でも、「自分のプレーを100%発揮できれば充分戦える」という手応えだった。
きっかけは練習試合で対戦した韓国とのゲーム。
川真田選手はまだ、代表チーム内での自分の役割や立ち位置を掴みきれずにいた。
もちろん自分がやらなきゃいけないプレー自体は理解している。
しかし、滋賀レイクスでやってきているプレーと同じ動きをしているつもりなのに、彼自身のイメージと代表チームの動きがうまく連動せず、しっくりこない時期がしばらく続いていた。
【川真田】もちろん、めざすバスケットも違えばメンバーも違いますし、コーチやスタッフも違うので、チーム内の決め事も変わってきます。
そのズレを修正するのにけっこう長い間苦労していました。
でも、その韓国戦でカチッと歯車が噛み合った感触があったんです。
自分のやりたいプレーと、代表チームが求めるイメージとが完璧にフィットしたと感じることができた。この経験は自分にとってすごく大きかったですね。
そしてその実感は、彼に大きな自信をもたらした。
この感覚でやれば、代表レベルでも戦える。
それは彼がバスケットボールプレーヤーとして、ひとつの大きなステップを上がったことを意味していた。
日本代表チームの一員として臨んだワールドカップの前と後で、もっとも成長したのは?と問うと、迷うことなく「マインド」だと語る川真田選手。
新たに得た「自信」という武器を手に、彼は滋賀レイクスでの新しいシーズンに臨むことになる。
世界を相手にしても怯まず戦える自信を手にした川真田選手。
だが、昨シーズンの滋賀レイクスは不振に喘ぎ、B2降格という結果に終わったため、今季はB2での戦いを余儀なくされている。
それでも彼は下を向くことなく、コーチやスタッフと相談しながら、できる範囲でメニューをこなし、万全の準備をしていると胸を張る。
こうしたポジティブなメンタリティも、代表の経験で得た強い気持ちの表れなのかもしれない。
【川真田】もちろんチームとしては『勝率8割』『B1最短復帰』を目標に掲げて取り組んでいます。
同時に、個人としてはパリ大会2024への準備も始まります。
B2だからといって自分のやるべきことはなにひとつ変わりませんし、与えられた環境のなかで、どれだけ自分が成長できるかに集中して、1試合1試合、挑戦をしながら60試合をやりきりたいなと思っています。
B2での挑戦から、パリの夢舞台へ続く道と、その先にある歓喜へ。
日本代表の一員としてワールドカップを戦い抜き、海外のトップ選手と対峙した経験から、あらゆる局面においてフィジカル勝負で勝ちきれなかったと感じたという川真田選手。
それゆえ10月からのB2シーズンと、来たるべきパリ大会2024に向けて、すべてのフィジカルを強化するという方針でトレーニングに取り組んでいるという。
代表から戻ってすぐにチームに合流し、B2リーグ開幕に備えるという肉体的にも精神的にもハードな状況に直面している彼だが、ふだんの食生活や栄養管理、体調管理などについてはどのように考えているのだろうか。
【川真田】食事に関しては基本的に特別なことはとくにしていません。
1日に何キロカロリーまでといった制限や、この栄養素を必ずこれだけ摂らなければいけないといった制約などは一切ありません。
もちろんスナック菓子を毎日たくさん食べるとか、極端に偏った食事をしないよう心がけてはいますが、一般の方が摂られているようなふつうの食事をバランスよく3食しっかり摂っています。
まあ食べる量はふつうよりはかなり多いでしょうけどね。(笑)
川真田選手も、一時期はより厳格な食事管理に取り組んだほうがいいのではないかと考えた時期もあったという。
しかし、我慢しすぎるのはストレスになって、かえってよくないと考えたのだそうだ。
食事は食事として美味しく食べたほうが健康的だし、偏食したり栄養の偏った食事をしたりさえなければ、自分にとってはそのほうがいいと判断したのだと話してくれた。
そして、いわゆる栄養素ごとのサプリメントを摂取するのではなく、ホールフードであるサン・クロレラを選んだのも、そうした彼の食への考え方にもあっていたといえるのかもしれない。
【川真田】サン・クロレラAパウダーを、時間帯を決めずに毎日一回必ず飲むようにしています。
朝起きて朝食を摂ったあとで、プロテインに混ぜて飲むときもあれば、夜帰ってきて眠る前に飲むときもあります。
いずれにせよ食事に対する考えと同じで、この時間帯に、こういうかたちで摂取しなきゃいけないと、あまり意識し過ぎてしまうと、ぼくの場合はかえって続かないので、生活のルーティンとして自然なかたちで取り入れるように心がけています。
あくまで自然体で望むのが川真田選手のスタイルということなのかもしれない。
今季、チームの目標でもある「勝率8割」「B1最短復帰」をめざした戦いに挑むこととなる。
そのためには、Bリーグ屈指ともいわれる熱いレイクスのブースターたちの後押しが必要になると、川真田選手は静かな闘志を秘めた口調でそう語った。
もちろん選手がそう答えることは当然のことで、どの選手に聞いても似たような答えが帰ってくることだろう。
ただ、この熱かった2023年夏の、あの母国開催のワールドカップ日本代表の一員として、日本中の人々からの熱狂的な声援に後押しされて戦ったあの試合を体感した川真田選手だからこそ、あらためてブースターの声援が持つ底知れぬパワーに気付かされたといえるのではないだろうか。
彼の口から放たれたその言葉には、なにか不思議な説得力が感じられた。
「最後はみんなで笑えるようにがんばりたい」。
その歓喜の瞬間を、はたしてどんな髪色で迎えるのか。
そこにも注目しながら、ケガからのいち早い復帰と、目標であるB1最短復帰への挑戦、そして代表メンバーとしてパリでの活躍に期待したい。
その先には、来季のB1の舞台で躍動する彼の姿があるだろう。
「レイクスブースタのみならず、ワールドカップでの日本代表の活躍に触発されファンになったというすべての人に、この1年間の川真田紘也と、滋賀レイクスのチャレンジを一丸となって後押ししてほしい」。
最後にそう語ってくれた彼の言葉には、B1最短復帰を決めてパリへ行くんだという、並々ならぬ決意が込められていると感じた。
彼の夢がすべて叶えられたときこそ、桜木花道ではなく、川真田紘也その人が物語の主人公となる瞬間であり、われわれはその奇跡のストーリーの愛読者として、もっとも間近で歓喜を共有することになるのだろう。
▼後編はこちら
⇒終わりなき祝祭。 ~ワールドカップの熱狂も覚めやらぬうちに開幕する新シーズンに向けて、1年でのB1再昇格をめざすレイクスの挑戦。~後編
PROFILE
滋賀レイクス
滋賀県大津市をホームタウンとするプロバスケットボールチームであり、滋賀県で唯一のプロスポーツクラブ。
クラブミッションは「日本一のクラブになることを通じて滋賀の誇りとなる」事をミッションに掲げている。