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『コラム』

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2021/03/21

元DeNAベイスターズ 安斉 雄虎さん【Cittaインタビュー】Vol.2

ドラフト3位で(旧)横浜ベイスターズ(現)DeNA ベイスターズの投手でプロ野球界入りを果たした経歴を持つ、安斉雄虎さんに独占インタビュー。 Vol.2では、ドラフト会議でのエピソード、プロ野球選手生活で『第2のターニングポイント』を迎えた出来事から野球人生を振り返ります。

元DeNAベイスターズ 安斉 雄虎さん Citta独占インタビュー

苦しかった4年間の野球人生。そこで得たもの。

 

ーーいよいよドラフト会議を迎えるわけですね!

ドラフト会議で「横浜ベイスターズ」に指名された当時の心境を聞かせてください。

【安斉雄虎さん(以下敬称略)】

まさかでした。本当に。

3位という上の順位で呼んでもらえるなんて思っていなかったので正直びっくりでした。だいたい結果待つときってテレビの前で待機するのを皆さん想像すると思うのですが、そんなに早く呼ばれると私は思っていなかったので、発表の瞬間は後輩の練習を校舎から見ていました。(笑)

そうしたら、仲間が走ってきてやっと知ったんです。(笑)何人もプロを目指す選手がいる中で、3位という順位で呼ばれるほどの評価をしてもらえていたんだなぁって思うと、素直に嬉しかったですし、会見前にはうるっときてしまいした。

順位はどうあってもスタートは一緒。“プロからがスタート”

ーープロ野球生活で一番印象に残っている事はなんですか?

【安斉】4年間という短い時間でしたが、私にとってはその4年間はとても濃い時間でした。

どちらかと言えば、良かったことより苦しかったことの方が多いですね。

もちろんルーキーの時、初勝利をしたことも思い出されますが・・・。

肘を怪我して手術をし、リハビリをしていた1年間が自分の中で1番記憶に残っていますね。

今でもその時の記憶が1番にパッと思い出されます。プレーができない間は野球から離れて、客観的に他の選手のプレーを見る事も出来て、自分の怪我と向き合ってどうしたらよくなるのか等、カラダの勉強もできたので印象深いです。

当時のその1年間があったからこそ、今の自分の生活の糧になっています。

今の仕事でも辛いこと、悩む事があっても、あの時の方が辛かったよな。と現在の自分を鼓舞する事に繋がっていますね。

ーー怪我という大きな試練があった時、安斉さんの支えになっていたものは何ですか?

【安斉】野球界の人間、同級生の支えもありました。ライバルで闘う者同士ではあったけど心配して声を掛けて くれたこと、周りの友達もお見舞いに来て励ましてくれていました。

あとはなにより家族ですね。寮で離れていたけど頻繁に連絡をくれて応援してくれていたから家族の気持ちに応えたかったし、恩返しをしたいと思えました。早く復帰して活躍する姿を周りの仲間にも見せたかったので前向きに頑張れましたね。

ーー安斉さんの野球人生においての『第2のターニングポイント』になった出来事を教えてください。

【安斉】高校時代が良い方向のターニングポイントとしたら、悪い方向、下がっていくターニングポイントになった、今でも大きな後悔している事があります。それが肘の怪我の原因にもなるんですが・・・

入団して1年目に同級生が1軍に上がり、2軍の先発ピッチャーとしてメインを任されていた自分にもチャンスがあると思っていたんです。でも上がれなかった。

悔しくて何としてでもその年の秋季キャンプでアピールしないといけないと思い、当時若かった私の考えはたくさん投げることがアピールだと思って、連日200〜300球、とにかく多く投げ込みました。

その結果、怪我に繋がってしまった。

2年目のスタートも悪く、結果的に手術することになりました。

周りからの助言には耳を傾けず頑なに投げ続ける選択をしたことを今でもすごく後悔しています。

あの時がなければ怪我にも繋がっていなかったと思いますし、復帰した後も感覚が狂う事もなく投げる事ができたといたと思うと悔しいですね・・・。

違う世界があったのかなぁ〜って。

     

復帰されたあとの2年間。本来のピッチングができずに苦しいシーズンが続く。「戦力外通告」を受け、DeNAベイスターズのユニフォームを脱ぐことになった当時の心境を伺います。

     

ーー安斉さんはすぐトライアウトに向けて準備をされましたね。切り替えて次に向えた理由を教えてください。

【安斉】私は当時22歳でまだ若かったし、「まだやれる!」「もう一度プロの世界戻りたい」と思っていたので 次に向う迷いはなかったです。

身体的には状態良かったですし、あとは試合数投げられればと思って、先発の機会が多いチームに入りたいと思っていました。

ーー独立リーグ「富山サンダーバース」に入団を決めたきっかけとその時の心境をお聞かせください。

【安斉】当時、トライアウトは2回あって、実は1回目のトライアウトで国外のチームから声をかけてもらっていましたが、カラダの状態が懸念されたことや、希望する条件とは合わずに見送りました。

当時、断った様子がメディアに出て、インターネットなどで批判的な意見を書かれたりしましたね(笑)

多くの試合で登板して結果を残したいと思っていたので断ったんですけど、それは伝わらなかったみたいです・・・。(笑)

トライアウトが終わって1週間ぐらいで連絡が来るはずが、なかなか来なくて焦りましたね・・・。

どこも決まらなかったら辞めようっていう覚悟でギリギリまで練習を続けて待ちました。

その時に関わりのある方から独立リーグを勧めてもらって、縁のあった富山のチームにキャンプが始まるギリギリの2月に契約をして合流をしました。

絶対にプロに戻る!という覚悟を決めて挑んだ独立リーグでの1年。

ーー独立リーグでの選手生活はどうでしたか?

プロとの違い、そこで得たものを教えてください。

【安斉】独立リーグはプロに行きたい人達が集まる場所ですが、独立リーグに慣れていくうちに居心地が良くなってしまってその場に満足してしまいそうになるんです。

なので、絶対プロ戻るっていう気持ちは忘れてはいけない、自分の意思をしっかり貫き通す事が大事だと強く感じました。

そうならない為にも私は1年と決めて独立リーグに入りました。

1年経ってもプロの世界に戻れる兆しがなかったので、プロ野球界から来た私が長居する場所ではない、プロを目指している若手選手の為にも、潔く野球選手人生を終えようと思えましたね。

引退をする最後の試合はさすがに今までのことが思い出されて、試合後一人ロッカーで大泣きしました...。

苦しかった野球選手人生の中で安斉さんが得てきたコトやモノは何にも変えられない、『人生の財産』に なっている事を強く感じたお話でした。
最終回のVol.3では、野球選手人生に区切りをつけ、第二の人生を歩む選択をした安斉さんの今、そして 今後描くビジョンを伺います。


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