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『コラム』

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2021/04/18

元東京ヤクルトスワローズ 田代将太郎さん【Cittaインタビュー】Vol.1

埼玉西武ライオンズ、東京ヤクルトスワローズに在籍された元プロ野球選手の田代将太郎へインタビューさせていただきました。

運命の野球との出会い(学生時代~プロの世界へ)

ーー野球を始めたキッカケを教えてください。

【田代さん(以下敬称略)】友達に誘われて、小学校4年生の冬に始めました。

友達に誘われて、小学校4年生の冬に始めました。

春になり雪が溶けてさあ練習始めましょうという時に初めてグランドに立つときがすごく覚えていて、「野球行けるかも」という不思議な感覚になったを覚えています。

 

ーーその「野球いけるかも」という感覚はどのような感覚でしょうか?これなら自分は成長出来るな。という感覚でしょうか?

【田代】 そうですね。野球としてみんなより上に上がれそうな予感がしました。

 

ーー小学生の時はこういった練習/トレーニングしたというエピソードはありますか?

【田代】特にこれというのはなく、ただただ練習をこなしていました。

 

ーー中学生の時の印象に残っていることは何でしょうか?

【田代】練習が基本試合せず、1日3試合する様なチームでした。

冬はみっちり練習で、1年生の時はサーキットトレーニングを無限にやっていた記憶があります。

倉庫を借りていて、そこに畳を引いてやらされていました。

 

ーーそれはどのようなトレーニングでしょうか?

【田代】 腹筋背筋みたいな種目が数種目あり、20セットぐらいやっていました。

メインが2~3年生だから、新人の1年生はとりあえず基礎体力をつけるという感じでした。

終わった後に棒振りっていうメニュー(短い木の棒でシャドーピッチング)を1000回とかも行ってましたね。メインが2~3年生だから、新人の1年生はとりあえず基礎体力をつけるという感じでした。

 

ーー高校の時の印象に残って事は何でしょうか?

【田代】 とりあえず上級生が怖かったです。

1年生の時からA班にいたので基礎体力中心のメニューとかはあまりないけども、やったのは赤点を取った時のみでずっと走っておけという感じでした。

あとは、雪の中でのノックや走らされたりというのは印象に残っていますね。

 

ーー雪の中でのノックなんて(ボールが)見えるもんなんですか?(笑)

【田代】正直見えないです。(笑)ペナルティとかはないけども取れなかったらボールが雪の中へ消えて行きました。(笑)

他にも「ノーミスノック」という練習があってこれはかなりきつかったです。

みんながノーミスじゃないと終わらないノックがあって、全然終わらなくて2~3時間が当たり前でグダグダに。途中からみんな「やばい~」などの演技が入ってくるんです(笑)

でもそこで練習は終わらずそこからバッティング練習や、100本ダッシュに続きます。100本ダッシュの時にコーチの笛の合図で走り始めるんですが、その笛が独特でものすごい憂鬱でした(笑)

 

ーーそれは聞いているだけでもかなりキツそうな練習ですね、、、

【田代】では、トレーニングや練習でこれやっといて良かったななどはありますか?

特にないですね。覚えてないのが正直なところで、「知識もないからとりあえずやっていた。」という感じで身にもなっていなくて全然ダメでした。

今だったらこのトレーニングはこれに活きるし、こうすればいいかなと思えるけど当時はとりあえずがむしゃらにこなしていました。なので、学生などにもそういった勉強会があると良いなと今になって思いますね。

 

ーー大学の進学はどの様に決めましたか?

【田代】高校試合で活躍した時に大学の監督が見に来て頂いていて、声をかけて頂きました。

東海大学の進学も考えていたのですが、出場機会の多く考えられて特待で入学できるというのが大きく八戸大学への進学を決めました。

 

ーー大学で印象に残っている事はありますか?

【田代】最初怖かったのが、20歳を超えている人といない人が混ざる中での接し方が怖く、高校とは違う上下関係に戸惑いました。

練習はかなり長かったです。練習場所の確保等で昼から練習して、時間空けて(3時間後)にまた練習など時間の使い方が難しかったですが、高校ほど練習はハードな印象はないですね。

1年生の時からベンチに入れて頂いていましたが、2年生になりスタメンで出場できてベストナインなどを獲得する事ができ、スカウトのリスト入りが出来る様になった時に「プロにいけるかもな」と感じました。

3年生の時、大学の時にやっと全国出場できてベスト4入りの活躍をする事ができ、スカウトのリストも増えて行きましたね。

4年生の時は自分たちの代になり副キャプテンに就任しました。全国に行く事は出来なかったけど、プロの世界に入り込む事が出来ました。

 

ーー大学の時にフィジカルのトレーニングが増えてくると思うのですが、どのくらいやったなどはありますか?

【田代】大学2年生くらいからウエイトトレーニングを始めました。

膝が痛くて下半身は避けて来ましたが、今思うとやれば良かったです。自重とかでもフォームを重視してやらないと改善はされないとプロになって気づきましたね。

 

ーー上級生になるにつれてトレーニングの内容が変わるなどはありましたか?

【田代】その時代はネットやSNSが発達していなくて、何と無くしか載っていない情報をネットで調べてひたすら上半身をやってましたね。

今は上半身より下半身をやった方が良いって事に気付きましたね。けど下半身のトレーニングはキツイんですよね(笑)

 

ーーそして、いよいよ運命のドラフトが始まるわけですが、ドラフトの日はどんな思いでしたか?

【田代】朝練習が終わり、監督にドラフトの最終リストには載っているけど、もしかしたら下位で選ばれるかもと言われました。

そしてパソコンで更新しながら見ていたら西武に5位で指名して頂きました。車が好きだったので、好きな車に乗れる!という喜びもありましたが、プロの世界に立つと立場が変わっていきましたね。

野球という運命を感じさせるスポーツに出会い、様々なきつい練習を乗り越えたからこそたどり着いたプロの道だと感じたお話でした。
次回、Vol.2ではたどり着いたプロという野球人生にまつわるエピソードをお伺いしていきたいと思います。


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